グラウンドにおけるスリーフットラインの歴史的変遷
スリーフットライン。ホームベースから一塁に向かって引かれているファールラインの中間地点から一塁に向かって右側スリーフィート離れて引かれたラインである。最終地点は一塁からスリーフィートだけ外野側に延びている。
このラインはいつ引かれたのだろうか? なぜ引かれたのだろうか? アメリカの年度毎ボールグラウンド図表を調べてみた。1881年(明治14年)にはまだスリーフットラインは引かれていない(図参照)。
ところが1882年(明治15年)に一塁ベースの横までスリーフットラインが引かれている(図参照)。何かがあって引かれたのだと私は想像している。
現在の野球公認規則「5.09(a)打者アウト(11)一塁に対する守備が行われているとき、本塁一塁間の後半を走るに際して、打者がスリーフットラインの外側(向かって右側)またはファウルラインの内側(向かって左側)を走って、一塁への送球を捕らえようとする野手の動作を妨げたと審判員が認めた場合。この際はボールデッドとなる。」
このルールを生むようなプレイ。打者が一塁ファウル近辺の打球を捕手or野手が捕球後に一塁送球を邪魔する妨害走行をしたのだろう。それでスリーフットライン内を走るように走路としてラインを引くことになったのだと思う。
因みに1981年のグラウンド図では一塁ベース・三塁ベースの中心にファウルラインが引かれている。スリーフットラインは点線ラインで、まだ、最終地点は一塁からスリーフィートだけ外野側に延びていない。
1887年(明治20年)になるとファウルラインは一塁・三塁ベースの中心でなく現在のように側面にひかれるようになった(図参照)。本塁ベースは相変わらず四角である。