プロ野球審判の歴史と理想の姿を探る

プロ野球の審判員は、審判員になりたい人がプロ野球の審判になる。それが理想である。

元プロ野球選手とか野球をやっていたとかはプロ野球審判員になる条件ではない。

しかし、1950年ニリーグ制でプロ野球が始まったときは戦前のプロ野球、満州の実業団野球の引退選手、大学野球の出身者、監督が審判員になった。

例えばセリーグの審判部長の島秀之助さんは法政大学野球選手後、実業団野球の簡易保険局の監督兼選手、それから戦前の1リーグ時代のプロ野球球団名古屋金鯱軍の選手兼監督として活躍した。その後、野球選手・監督を引退して1950年にセリーグ初代審判部長を務めた。

これら戦前に活躍したプロ・アマ野球選手出身の審判員が引退した1970年以後から2000年まで、主な審判員は元プロ野球選手でもプロとして成功できないor見切りをつけた者が審判員となった。この頃は全審判員の30%が元プロ野球選手だった。

そして2002年以降、元プロ野球選手の審判員は、一切なくなる。一般公募で募集された者が審判員になる。つまり、審判をやりたい人が審判員をやるようになった。

2013年以後、日本野球機構が主催するアンパイア・スクール卒業生しかプロ野球審判員になれない時代になった。つまり、審判員になりたい者がプロ野球審判員になる時代がやってきた。まさしく純正プロ審判員時代になった。

アンパイア・スクール卒業生の数名が研修生としてBCリーグ、二軍で技術を磨き5~7年かけて一軍の審判員になる道筋になったのだ。