1イニング4奪三振しているのに得点されるなんて
1958年(昭和33年)から2015年(平成27年)までの日本野球機構の公式スコアシートを野球殿堂博物館で閲覧できるようになった。
そこで、プロ野球史上たったひとりの「Only Play」選手、初めての「First Play」を見つけて、そのプレイの内容をスコアシートで読み解いた報告をする。
1イニング4奪三振は1950年の2リーグ制以後24度あるがその内8度で得点をとられている。投手としては4奪三振しながらだから何とも納得いかないのでは……。
その8度は掲載した『1イニング4奪三振』一覧表の青い行がその試合である。
1950以後プロ野球史上初めての1イニング4奪三振でも1得点とられている。
その内容を具体的に見てみよう。
1957年7月5日大洋対広島18回戦(川崎球場)、2回表広島の攻撃で4番大和田明が3b-2sからの6球目を空振三振するが大洋幸田優投手の投球が暴投となって一塁出塁した。
5番藤井弘も同じく3b-2sからの7球目を空振三振した、このときに一塁走者大和田明は盗塁に成功、一死走者二塁となった。
6番横溝桂は2b-2sからの5球目を空振三振で二死となる。3打者連続空振三振で二死になるけど走者はまだ二塁にいる。
7番上田利治は3b-2sからの粘って9球目を左前安打した。大和田明二塁走者はホームに生還して広島は得点する。
8番興津達雄の一球目のときに幸田優投手の投球を土井淳捕手がパスボールしてしまう。
一塁走者上田利治は二塁に進塁してしまうが、興津達雄は2b-2sからの5球目を見逃三振してしまい攻撃終了する。
幸田優投手は5人の打者から4奪三振しながら振逃暴投、盗塁、安打で一点を献上してしまったのだ。
1イニング4奪三振した幸田優投手としては何とも合点のいかない一点だったのではないだろうか。