矢ノ浦国光選手の開幕、高卒、初スタメンの打席記録は?

1958年(昭和33年)から2015年(平成27年)までの日本野球機構の公式スコアシートを野球殿堂博物館で閲覧できるようになった。

そこで、プロ野球史上たったひとりの「Only One」選手と初記録の「First Play」選手を見つけ、そのプレイの内容をスコアシートで読み解いた報告をする。

 

1950年以後プロ野球約54,000試合で高卒ルーキが開幕スタメンに名を列ねた選手はパリーグ10人、例えば、有名な選手では西鉄中西太、毎日榎本喜八、東映張本勲、近鉄矢ノ浦国満、東京山崎裕之など。

一方、セリーグでは、阪神並木輝男、読売王貞治、中日立浪和義の3人しかいない。

今日は合計13人しかいない内で2安打した大谷翔平ともう一人の矢ノ浦国満の結果を報告する。

 

1960年4月9日東映対近鉄(駒澤球場)で2回表7番打者として、開幕、初スタメン、初打席に立った。きっとドキドキしていたのではないか。

ボールカウント1b-1sからの3球目を中堅安打した。次の8番竹下光郎はボールカウント1b-2sから7球目にデッド・ボールを喰らって出塁した。無死走者一・二塁になって9番大津守投手が打席に立った。

東映土橋正幸投手の1球目のストライクのときに矢ノ浦のスコアに 2-6-5/1 と記載されている。

ここは想像だが大津投手はバントサインを見逃しストライク。矢ノ浦選手はバントと思っていたから三塁に向かってしまった。捕手は二塁に送球しニ・三塁間で挟殺されたのでは。

それが2-6-5のプレイ内容ではないか。このプレイは矢ノ浦選手が開幕、初スタメン、第1打席で緊張した様子がうかがわれる。

 

第2打席はボールカウント2b-2sからの6球目を右翼飛球でアウト。

第3打席は6回無死走者島田光二一塁走者で投手前にバントをして二塁に進塁させた。

第4打席は二死走者斎田忠利二塁走者でボールカウント1b-1sから左翼安打で打点をあげた。

結果は3打数2安打1打点1犠打。第3打席までは東映のエース土橋投手、8回は山本義司投手と対戦した。

因みに球審は二出川延明、第4打席の矢ノ浦選手の安打で本塁生還した二塁走者斎田忠利は後のパリーグ審判員その人である。