プロ野球はまともな商売と認められていなかった時代

今夜は“プロ野球と正業”についての”「だからどうなの話し」。

『週刊ベースボール2015年5月25日号』の“プロフェッショナルの肖像 第7回 美学を貫いた男たち(文=大内隆雄)”は阪神の村山実投手をテーマにしている。

そのなかで村山実投手が阪神に入団した経緯が書かれていた。

大内隆雄氏が「どうして阪神に入団したのか」と尋ねたところ村山実投手は「あのころは不景気でねえ。阪神は『阪神電鉄の本社からタイガースへの出向という形はどうですか』という条件を出した。これにはグッと来ましたね。

昭和47年に引退したとき、部署は忘れましたが阪神電鉄の課長でしたワ」と応えたとのこと。

また読売巨人軍の藤田元司投手も「慶応のエースとあろうものが、職業野球などに行こうとは」という声をかわそうと、いったん日本石油に入社して1年後に読売巨人軍入りをしている」とのこと。

この二人の例はいかにプロ野球が“正業”と認められていなかったかをあらわしている。

なるほど、なるほどと納得した。

私の子供時代に野球は遊びだった。野球選手にあこがれていた。だが、大人になって野球選手になるなど、まともな商売だとは思っていなかった。

いまや野球は国民的スポーツといわれているが、この時代のプロ野球は「変わった商売」で、野球で金を稼ぐ選手などはまともな人間と見られていなかったのだ。

高校野球、大学野球、社会人野球などのアマチュア野球が野球の本道なのだった。

さて、この野球を正業にしたのは誰だろうか? 

いずれ私なりの答えを書くと思うが、今日はここまで。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。