本番に向けて、掛け声を練習する日々なのだ

今夜は“掛け声の稽古についての”「だからどうなの話し」。

九代目市川海老蔵。ファンは“えび”を食べなかった。後の十一代目市川團十郎。

團十郎を襲名した期間は短かった。私の母はこの九代目市川海老蔵のファンだった。海老蔵と並んで写っている写真は母の家宝だった。

その孫の十一代目市川海老蔵が神宮球場に登場するのだ。

果たして勧進帳の弁慶姿で飛び六法か、紫の鉢巻の助六で登場するか。

私の希望は清心で登場してもらいたいのだが……。まあ、そんな姿で出場することはないか。

十一代目市川海老蔵がヤクルト対横浜DeNAの開幕試合の始球式をするのだ。これは掛け声を掛けざるをえない。

というわけで夜になると高麗川の土手で練習をしている。「ナリタヤー」と。

清心で登場するなら「しかし、待てよ、今日、始球式を清心でするのを、知っているのはこの我と、十一代目海老蔵のみ、人間わずか50年、首尾よくいって十年か二十年。今年66歳の私にとって、ヤクルトファンとして、めったにないこと。こいつは横浜DeNAの対戦よりおもしろいわえ」。

3月28日、雨が降らないことを願うだけだ。テルテル坊主を掲げるか。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。