渡田均審判員が2020年7月6日肺腺がんでお亡くなりになりました。62歳。
渡田均審判員はNPB審判技術指導員でまだまだ若い審判員を教育するのにがんばってもらいたかったです。
ご冥福をお祈りします。合掌。
私にとって渡田均審判員の神宮球場の思い出は2試合あります。
2015年9月6日対広島戦で山田哲人が30個目の盗塁となる二盗を決めました。
トリプルスリーを決めたときに二塁塁審をしていたのが渡田均審判員でした。
雨降る神宮球場で山田哲人がスタートした瞬間に写真を撮りたく構えました。
広島石原捕手の二塁ベースへの送球に対し田中遊撃手、菊池二塁手がお見合いしてボールは転々と中堅に転がって行きました。
二塁塁審の渡田均審判員はタッチプレイがないから両手を広げてセーフのジェスチャーをしませんでした。
私はカメラを構えて二塁塁審のセーフジェスチャー瞬間を撮りたかったのになんでしなかったのか。
後日、渡田均審判員のお会いしたときにタッチプレイがなくてもトリプルスリーの30盗塁決定場面だからセーフジェスチャーをしてもらいたかったなと言いました。
するとにこやかに笑ってなるほど「それはできないよ」とうなずいていたのが記憶に残っています。
とても穏やかな人柄が見えたのが印象に残っています。
明日はもうひとつの記憶、2001年8月16日対横浜戦で佐伯選手のレフト直飛をラミレスが捕球した試合です。
森監督が初めて退場処分になった試合でした。
あの時に渡田均審判員は二塁塁審で判定していました。
一塁側最上段席でスコアを付けながら見ていた私にとって記憶に残る試合でした。
この話題は明日にします。
以下に、渡田均審判員の初出場(1985年)と1990年~2015年までの年度別出場回数を掲載します。