プロ野球史上1イニングに二盗、三盗、単独本盗の記録は?
1958年(昭和33年)から2015年(平成27年)までの日本野球機構の公式スコアシートを野球殿堂博物館で閲覧できようになった。
そこで、プロ野球史上たったひとりの「Only Play」選手、初めての「First Play」を見つけて、そのプレイの内容をスコアシートで読み解いた報告をする。
今回は盗塁の「ワンマンショー」1イニング二盗、三盗、本盗の3盗塁記録でも単独本盗をした日本ハム島田誠の盗塁内容について。
この盗塁には序章がある。
1979年6月5日日本ハム対西武11回戦(後楽園球場)、3回裏に先頭打者9番菅野光夫が四球で出塁する。
1番打者富田勝がボールカウント3-1後の5球目に空振したときに菅野光夫は二盗を仕掛ける。
西武の野村克也捕手は二塁に悪送球したことで菅野光夫は一挙に本塁に生還してしまうのだ。
1イニング3盗塁、しかも単独本盗付きを記録した日本ハム島田誠は野村克也捕手の弱肩を目に焼き付けた。
菅野光夫本塁生還後の富田勝は3-2後の6球目を空振三振する。
一死走者なしで記録達成者の2番打者島田誠を西武森繁和投手は打席に迎える。
島田誠は四球で出塁する。
ここから先に菅野光夫の盗塁で悪送球した西武野村克也捕手の動揺が治まらないうちに連続的に盗塁を仕掛ける。3番打者柏原純一への初球に二盗、3球目に三盗を成功する。
その後、柏原純一が三振し4番打者古屋英夫のボールカウント1-1の3球目に本盗を仕掛けて成功する。
森繁和投手が柏原純一から古屋英夫までの6球を投球する間に二盗、三盗、本盗を成功したのだ。
島田誠は野村克也の弱肩を突いた足攻盗塁ワンマンショーがこの1イニング3盗塁だった。
因みにこの盗塁を判定したのは道仏訓二塁塁審、萩原寛三塁塁審、林達也球審である。