“3割、30本、30盗塁”はいつから“トリプルスリー”になったのかな?
今夜は“トリプルスリー”についてのだからどうなの話し。
1試合に“単打”“二塁打”“三塁打”“本塁打”を「サイクル安打」と言い始めたのは阪急のスペンサー選手が達成したときからだ。
それ以前は「サイクル安打」とは言わなかった。
同じことで“トリプルスリー”はいつから言い始めたのかスポーツ報知の新聞記事で調べてみた。
過去に“3割、30本、30盗塁”を達成した簑田選手、秋山選手、野村選手、金本選手、松井選手が“3割、30本、30盗塁”を確実にした日の報知新聞の見出しを調べてみた。
それが左の図である。
簑田選手は“スーパーマンⅢ”“3割、30発、30盗塁”。
野村選手は“3割、30発、30盗塁”の快挙。
金本選手は“3割、30本、30盗塁”。
秋山選手の場合は“30発、30盗塁”を達成していて3割を確実にした日に“3割、30発、30盗塁”の記事、見出しさえなかった。
“トリプルスリー”の見出しが報知新聞 に載るのは左の図の松井選手からになる。
これは報知新聞の見出しを調べただけなので他のスポーツ新聞や一般紙が“トリプルスリー”を見出しに使っていたかもしれない。こと報知新聞に限ると“トリプルスリー”は2002年の松井選手が達成してから使われたことばのようだ。
“3割、30発、30盗塁”を“トリプルスリー”と一言で表すようになったのは、達成する選手が少ないからかもしれない。今年はその“トリプルスリー”を1950年に岩本選手、別当選手のセ・パ両リーグの二人がが達成して以来山田選手、柳田選手の二人が達成を確実にしている。65年ぶりの大快挙である。
新聞、テレビ、ラジオでこの言葉が何度も使われ、言われることだろう。二人の選手が“トリプルスリー”という言葉を定着させる元年にするかもしれない。
というわけで、今夜もだからどうなの話し。