プロ野球史上1イニングに二盗、三盗、単独本盗の記録は?
ヤクルトの村上選手が2020年11月5日阪神対ヤクルト戦で2回に右前打で出塁すると、二盗、三盗、本盗と1イニング3盗塁に成功した。
プロ野球界では1979年日本ハム島田選手が記録して以来41年ぶり17人目の珍記録でした。
島田選手の盗塁内容を振り返ってみよう。
1979年6月5日日本ハム対西武11回戦(後楽園球場)、3回裏に先頭打者9番菅野光夫が四球で出塁する。
1番打者富田勝がボールカウント3-1後の5球目に空振したときに菅野光夫は二盗を仕掛ける。
西武の野村克也捕手は二塁に悪送球したことで菅野光夫は一挙に本塁に生還してしまうのだ。
1イニング3盗塁、しかも単独本盗付きを記録した日本ハム島田誠は野村克也捕手の弱肩を目に焼き付けた。
菅野光夫本塁生還後の富田勝は3-2後の6球目を空振三振する。
一死走者なしで記録達成者の2番打者島田誠を西武森繁和投手は打席に迎える。
島田誠は四球で出塁する。
ここから先に菅野光夫の盗塁で悪送球した西武野村克也捕手の動揺が治まらないうちに連続的に盗塁を仕掛ける。
3番打者柏原純一への初球に二盗、3球目に三盗を成功する。
その後、柏原純一が三振し4番打者古屋英夫のボールカウント1-1の3球目に本盗を仕掛けて成功する。
森繁和投手が柏原純一から古屋英夫までの6球を投球する間に二盗、三盗、本盗を成功したのだ。
島田誠は野村克也の弱肩を突いた足攻盗塁ワンマンショーがこの1イニング3盗塁だった。
因みにこの盗塁を判定したのは道仏訓二塁塁審、萩原寛三塁塁審、林達也球審である。
1950年2リーグ以後の1イニング二盗、三盗、本盗の記録は
①1950年4月10日毎日奥田選手②1950年6月5日南海木塚選手③1951年7月26日毎日別当選手④1951年9月12日読売与那嶺選手⑤1952年8月16日毎日河内選手⑥1953年4月9日国鉄土屋選手⑦1954年5月20日近鉄鈴木選手⑧1956年9月18日南海森下選手⑨1959年10月12日西鉄城戸選手⑩1961年9月7日阪急岡嶋選手⑪1979年6月5日日本ハム島田選手⑫2020年11月5日ヤクルト村上選手。