“休養”という日本的な首切り、責任の取り方について
今夜は“監督の休養”についての” についての”「だからどうなの話し」。
オリックス・森脇浩司監督の“休養”発表を聞いて「相変わらずだな」と思った。
例えば、某会社の取締役会で△△代表取締役社長以下役員全員で□□□□を営業本部長に指名した。
営業本部の社員は兵揃いで売上はアップすると予定されていた。ところが思惑は外れた。売上は全く上がらない。
さて、誰がこの責任をとるか。□□□□営業本部長か? △△代表取締役社長か? 取締役全員か?
□□□□営業本部長が辞任すれば、彼を指名した△△代表取締役社長以下役員全員に任命責任が生じる。
逆に△△代表取締役社長以下役員全員が□□□□営業本部長に辞任を強要すれば角が立つ。
それで本人に“お休みします”と宣言させる。“休養”宣言は辞任する本人、辞任させる側も傷つかない。
ただし、責任の所在もあいまいになる。
だって、当人は“辞めていない”で休んでいるだけで、いずれ復活するというニュアンスを含んでいる(実は復活はありえないのだ)。
このようなやり方が日本野球界特有の責任の取り方だ。我が愛する球団も数年前に同じことをしたな。
メジャーではこんなことはありえない。成績不振ならGMが監督の首を切り、変える。それで成績が回復しないならGMが辞めさせられる。あいまいではない。
野球ファンとしては成績不振監督を辞めさせるならこのような明確な処置をしてもらいたいものだ。それの方が納得できるのだが……。
というわけで、今夜もだからどうなの話し。